「稿輪舎」 第1期生 募集 (2012年2月25日)

(株)コラボトリエは主に大学生を対象に、取材と文章作成を実践指導する「稿輪舎」をの第1期生を募集します。

指導には、元日本経済新聞記者の坪田知己と、フリーライターの野田幾子が当たります。

下記のように、実践的な指導をします。

坪田、野田は新聞、雑誌、書籍について多くの文章を書き、さらにネットでの情報発信にも精通しています。基本的な取材、執筆の手法ばかりでなく、ネット時代にも通用する手法を伝授します。

将来、マスコミ業界を目指す人はもちろん、一般の会社でも、洗練された文章が書けることは大きな強みです。またインタビューのノウハウは調査や営業で客先と交渉する場合にも役立ちます。

内容的にはハードですが、少人数でみっちりと教え、添削指導を行います。

意欲のある方は是非チャレンジして下さい。

1) 期間 2012年3月から8月まで

2) スクーリング 月1回(欠席者には補講があります) スカイプ参加もあり

場所は都内もしくは横浜の予定(コラボトリエの事務所は赤坂)

3) 費用 入塾費 1万円 月謝5000円×6カ月 トータル4万円

4) 受講資格 原則大学生ですが、社会人、在宅の方もOKです。ご相談ください。

5) 定員 6名(少数精鋭主義です、全員に見違えるような実力をつけていただきたいということです)

6) 内容

 a)文章の書き方、構成法
   主にブログを意識して、読者の共感を呼ぶ文章にする訓練をする。1000−2000字の文章を、最低4本書いていただく。細かく指導、添削します。

b)インタビュー
   座学の後、実際にフィールドに出て、インタビューし、文章化する。

c)写真の取り方
文章に着ける写真の撮り方を指導します。

d)その他
講師の取材や執筆の経験について、お話しします。

全てについて、合格点の方には修了証を授与します。

《講師紹介》

坪田 知己

1972年 日本経済新聞社入社、87年まで社会部、産業部で記者
1984年 社会面企画「サラリーマン」で菊池寛賞を受賞(グループ取材)
1985年 日本経済新聞1面企画「21世紀企業」取材班キャップ
1989−91年 日経BP社「日経コンピュータ」副編集長
1991−94年 日本経済新聞 産業部デスク
2005−09年 日経メディアラボ所長

著書に『マルチメディア組織革命』(1994年 東急エージェンシー)、『2030年 メディアのかたち』(2009年 講談社)、『人生は自燃力だ!!』(2010年 講談社)、『ふるさと再生』(2010年 講談社)、など

1992−94年 日経サテライトニュースでキャスターを務める
2011年 BS11「ふるさと紀行」レポーターなど


野田 幾子

アスキー マックピープル編集部所属後、99年12月よりフリーランス
2000年よりソニーニコンパナソニック、日立など、企業ブランディングサイトの執筆やコンテンツディレクションに携わる。
2003年より取材、コピー、記事執筆を手がけたWebサイト「design yamaha」(ヤマハ)が2005年TIAA コーポレート部門金賞受賞。
2006年12月より、ニコンの会員制Webサイト「eNikkor Club」の編集長として立ち上げにかかわり、現在も継続中。
Web媒体での執筆/編集のほか、『日経ビジネス』、スポーツグラフィック誌『ナンバー』などでの執筆、書籍編集など、活動するジャンルは幅広い。共著に『mixiの本』ほか。

<Q&A>

Q:今なぜ文章塾を開設することになったのですが

A:2009年に、学生に取材させ、記事を書かせる「スイッチオン・プロジェクト」というものをやり、そこで、プロの手法を教え、添削したのですが、そのことで学生は大きく進歩しました。ノウハウだけでなく、ものの見方なども変わりました。この経験を、後進の人にも伝えたいと思ったことです。

<参考>スイッチオンプロジェクトでの記事の1例

http://news.goo.ne.jp/article/gooeditor/life/gooeditor-20090701-07.html

Q:スクーリングは月に1回ということですが?

A:最低月1回はやります。そこでも作業をして頂きますが、スクーリングの間に宿題を出しますので、次のスクーリングまでに宿題をこなして、結果を報告していただきます。この宿題と、それに対する講評、添削が、講座の基幹部分です。

場所は東京都内か横浜の予定。時間は塾生の都合を勘案して決めます。

Q:実際に取材するのですか?

A:仕上げとして、インタビューしてそれを原稿にする・・・というのが卒業作品になります。インタビュー力、質問力と、文章の構成力などを総合的に使うものですので、必ずやっていただきます。

Q:講師の過去の経験なども聞けますか?

A:どんどん質問してください。失敗談もたくさんあります。そのことでライターというものの実態がよくわかると思います。

Q:応募の資格は? 社会人でのOKですか?

A:0期生(2011年9月から12年2月まで)は、学生4人、社会人2人でした。年代は20代から50代まででした。このため、平日夜、休日を選んでスクーリングを実施しました。

Q:なぜ前回は「O期生」なのですか。

A:2012年以降に本格展開と考え、O期生の指導を通じて、教材の整備、教え方の修正を行っていったためです。1期生からは、標準的なプログラムで教えます。

Q:申し込み、試験は?

A:簡単なプロフィールと志望理由(400字から1000字)をメールで送ってください。必要なら面接します。

Q:受講料などは、入塾前に払うのですか?

A:第1回目のスクーリングを受けていただき、決心がついた段階で、お支払いください。一方で、講師の方から「指導するに不適格」と判断した場合は、受講をお断りする場合があります。


前期(0期)で実施したこと

1)文章の書き方のポイントを講義

2)課題を提示して、1000−2000字の原稿を、最低2本書いていただいた。(1期では5本に増やす予定)

3)受講者の相互インタビューを行い、原稿化した。

4)「震災」「人生の変わり目」をテーマに、対象を選択し、インタビュー、原稿化。

5)それぞれについて、講師が詳細なコメントを出し、書き直しを指示、その上で添削している。文章について、a)必要な情報、b)構成・・・を整えるのは受講生の責任。これが整うまでは、添削はしない。

0期生の作品などは、4月をメドにwebで公開の予定。


≪重要≫申し込み

希望者は、簡単なプロフィールと志望理由(400字から1000字)を下記にメールで送ってください。必要なら面接します。期限は3月10日(土)とします。

その他、お問い合わせも、メールでお願いします。

坪田(tomtsubo●gmail.com) (●を@に変えて、メールしてください)


稿輪舎を創るにあたって〜坪田知己(2011年8月)

このたび、株式会社・コラボトリエは、「稿輪舎」という教育事業を始めます。

これは、21世紀という時代に生きる私たちにとって大事な「情報発信能力」を鍛えるための私塾です。

日本の教育で致命的に欠落しているのは、「自分の考えを相手に伝える力」です。世界中の国がこの「伝える力」を国語教育の最大の眼目にしているのに、日本だけが、このことを小学校から大学までほとんど教えていません。

「言葉」は、人類が生み出したとても素晴らしい意思伝達手段です。それは、誰のものでもなく、自分のものなのです。

日本の国語教育は、芥川龍之介夏目漱石などの文豪の文章の読解に主眼を置いています。名文とはそうした文豪たちが書いてきたものだとされています。

そして、私たちは、何か素晴らしい文章があって、それを求めるように仕向けられます。

私は、約20年間新聞記者をしてきて、「自分の文章が書けなかった」ことを悔やんでいます。新聞社は、記者が書いた文章をデスクが添削して、商品としての「記事」にします。新聞に掲載されているものは、「新聞社」という「システム」が制作した文章なのです。
そのために私は1994年の『マルチメディア組織革命』から始まって、4冊の本を、自分だけの力で書いてきました。

私たちは、いま、パソコンとインターネットにつないで、自由に情報発信することができます。ところが「読み手」として見たときに、「いい文章だな」と思うことがほとんどありません。ただ「徒然なるままに」書かれているからです。

上手な文章とは、「自分が表現できている文章」です。芥川龍之介夏目漱石も、先人の文章を学びましたが、最後は「自分らしい文章」を身につけたことで、一流の文章家と認められたのです。

つまり「自分磨き」こそが文章上達の王道なのです。それは誰かに強制されのではなく、自分自身が磨いていかねばならないのです。

「稿輪舎」は、塾生の「自分磨き」をサポートします。情報をどうやって収集し、それを消化して、組み立て、自分の表現にしていくか・・・を実践していく中から、「自分流」を確立して頂きます。

稿輪舎では、企画力、取材力(特にインタビュー力)、構成力、言葉を見つける力など、「文章」をキーにしながら、総合的な人間力を身につけられるように、ワークショップ形式で指導します。

稿輪舎は、営利を目的にしていません。受講した方々がもれなく「文章を書く喜び」を持てるように指導します。「一人一人の個性を講師がしっかり把握する」ということで、受講生は6人を定員とします。

私、坪田知己と野田幾子は、この仕事を「新しい文章技法」を確立するためのテストベッドと考えています。一緒に学んでいきましょう。


<稿輪舎の名称について>

稿=原稿です。輪=ネットワークです。ネットワーク時代の文章技法を学ぶための学舎です。

もうひとつは「降臨」です。文章を書くために悩み抜いた末、ある瞬間、頭の中に文章があふれ出し、ただそれを書き留める作業に夢中になります。これをライターの間で「降臨が起きた」と称します。

稿輪舎は「降臨」がスムーズに起きるための基礎訓練の場でもあるのです。

<最後に>

この課程を修了すると、あなたには世界が違って見えてくるはずです。どのような事象も、自分のセンスで説明し、インパクトのある表現で伝えられる。

この能力は、プロのライター、記者にならなくても、会社の中での仕事、日常生活でも役立ちます。もちろん就職活動でも。

文章を手足のように操る能力がつき、自分に自信が生まれるはずです。それはきっとあなたの生き方自身をステージアップできることになると思います。


<0期生の感想>

稿輪舎で学んで

正直に告白すると、私は、文章中に有効な情報があるか否かに関心が強い。

良く書けた文章より、正確な数値データや図のほうが役に立つことが多いと思っている。こう思う理由は、私が受けた工学教育の影響が大きいことはもちろんだが、それ以上に、言語という壁の存在がある。

日本語でも、奈良の都の賑わいを伝える素晴らしい古文を私は理解できない。ところが、品名が記された木簡のリストを見れば、都を往来する人や荷車の様子を想像できる。データの扱い方や、英語で書くことを学んだほうが、より多くの人に伝えることができる。いや、音楽や絵画のほうが直接的に伝えられるのではないか。技術を伝えるなら、設計図や実物そのものがよいだろう。

そんなことを普段考えている私が「稿輪舎」の第0期生になった。もちろん、良く書けた文書に出会えば気持ちがよく、上手な文章への憧れがある。でも、そんな心地良さや、憧れに、つき合っていられない貧乏ヒマなしの身分。なのに、何故、参加したのか?

自分でもよくわからないスタートだった。しかし毎月、課題文を書き、提出、添削された課題文について、二人の講師と参加受講者で議論をしているうちに気がついた。

文章の書き方を学ぶことは、自分を知り、他人を知り、
そして、自分を自由にする方法を学ぶこと。

実務上のコミュニケーション、情報伝達という観点では、英語や他の方法を学ぶことも大切だが、日本語で考え、感じることが、私の基本だ。

文章に向きあうことで、それを書いた自分に向き合う。文章が自分を規定していることに気づく。ならば、文書を変えれば、自分が変わる可能性がある。

「文章」への意見、修正に対する、それを「書いた人」の反応を観察して議論に参加する。そうすると「書いた人」が自分の番になったとき、意見や修正に反応する自分が、不思議に客観的に見えてくる。それまでの自分に固執せず、自由にものが考えられる。

さて、この気づきを生かして、どんな風に自由に文章が書けるようになるのか?
色々試してみたくて、今、私はわくわくしている。

そうか、「稿輪舎」は、このわくわく感を醸し出して私を誘ったに違いない。

例年より遅い梅便りを待ちながら、 宮地恵美(2012年2月25日)

(O期生、株式会社MMIP代表取締役

以上

コンテンツからコンテキストへ

コンテンツからコンテキストへ

現在、情報化社会への移行の中で、マスメディアの衰退が顕在化し、コンテンツ・ビジネスも著作権管理などの問題に直面している。

一方で、SNS、ブログ、twitterなどが広がっている。

コンテンツを取引するという形態は、進歩が遅い時代に、パッケージ化(新聞、本、、雑誌、レコード、CD、DVDなど)して渡すということで定着した。
著作権はもともと出版業者が国王からの認可として得た権利だ。これらは売る側からの攻め口だった。

個々の視聴者、利用者の側から見てみると、我々は個別のコンテンツを買うように見えながら、その背景には、それぞれの人間特有の趣味や関心といったコンテキスト(文脈)に従って買っている。

コンテキストは、パーソナルなものもあるが、グループレベルのものもあり、国家レベルのものもある。供給側が提供するものも、需要側から盛り上がるものもある。そうしたコンテキストがクロスしたところで取引が盛り上がる。コンテキストがないジャンルのコンテンツにはほとんど価値がない。

twitterなどでは、コンテキストを時間的にストリーム化しながら、情報交換する状況が見られる。RSSトラックバックも、コンテキストに従ってコンテンツを結びつける行為だ。

あるいは行動ターゲティングという手法はコンテキストを追うというものだ。

私は、情報化社会の中で「目利き」の役割に注目している。目利きは、コンテキストに対してナビゲーションを提供し、コンテンツ上での価値の優劣をガイドして、時間の無駄を制御している。

アインシュタインは、それ以前にあった絶対空間、絶対時間という考え方に対して、普遍なのは光の速度であって、時間も空間も歪むという相対性理論を提示した。

現在の、情報化社会の閉塞状況を打破するために、コンテンツ至上主義をやめ、コンテキストを軸に情報化社会を再認識し、新しい取引や規制の考え方を提示できないだろうか・・・・私はそう考えている。

コンテキストが基軸と考えれば、コンテキストを提供する情報環境が取引単位になる。
アップルのiTunesは、アルバムに対して1曲単位のばら売りで人気になったというが、供給側のパッケージ化を制御して、ユーザーのコンテキストに曲を提供していると考えた方が正解だ。

レコメンデーションやレピュテーションもコンテキストの流れの効率化を高める行為だといえよう。

現在、新聞社のサイトを有料化する動きがあるが、これもコンテキストを提供する環境を用意できるかどうかがポイントになると考えられる。

これは、「思考実験」である。近代化の中で生まれた枠組みを、現在の技術と社会状況を背景に解体し、再構成して、実態に合わせた経済を創出できれば、成功である。

「コンテンツはコンテキストの支配下にある」という常識が普遍化することが、この思考実験の終着点である。

この問題にご関心のある方は、コメントをいただければ幸いである。

<呼びかけ>
地域メディアの明日」にチャレンジする皆さんへ

2009/07/02
慶應義塾大学地域情報化研究コンソーシアム
坪田 知己     

 <過去にお会いした人に送っております>

広告費の急減、インターネットの普及の中で、メディアの激変が始まりつつあります。中でもデジタル化の流れの中で、地域メディアは困難な時期を迎えつつあります。

 それを乗り切って、次世代の展望を開くにはどうすべきか―――。

その解を求めて、下記の合宿勉強会を開きます。
一つは「地域密着戦略」です。地域の問題を掘り起こし、住民と一緒に考え、解決しようというものです。これは鳥取県米子市のケーブルテレビ局「中海テレビ」が実践してきたことです。地域貢献を企業理念に掲げ、地域の問題解決を番組を通して実現していく姿勢、環境問題(中海の浄化)や高齢化・過疎の問題では地域の情報ハブの役割を果たしていることなど、見事な経営をされています。
次に、SNSやブログといった、ネットメディアの活用です。規模は小さいのですが、和歌山県田辺市の「紀伊民報」がこの分野の先端を走っています。
そして、これまでのマスメディアの鋳型であった「官報ジャーナリズム」からの脱却です。河北新報仙台市)の寺島英弥氏は、「シビックジャーナリズム」の実践者であり、米国で取材した豊富な事例をご存知です。
このような先進例に学びつつ、「これからのメディアはこうあるべき」を考えようというのが、今回の米子合宿の趣旨です。
単に「勉強しよう」ではなくて、「自分が先頭に立って変えていこう」という人たちの決起集会です。熱い夜を米子で過ごしませんか。趣旨に賛同される方はぜひ来てください。さらに周囲の「熱い人」にも声をかけてください。
 





地域メディアを再構築しよう」米子合宿の概要


<趣旨>
 地域におけるメディア・・・というと、地方新聞社と地方民放テレビ局が代表格でした。しかし、インターネットの普及と通信と放送の融合(たとえばIPテレビ)などが、その基盤を脅かしています。
 地域での暮らしの中で、地域メディアが果たす役割は大きく、これを維持することはわが国にとって重要なテーマです。
 今後、生き残っていく地域メディアの形はどのようなものか・・・それを多角的な視点から探るのが、今回の合宿の目的です。

◆ セッション1 「地域貢献を掲げる放送局とは〜中海テレビの20年」
   スピーカー 中海テレビ放送  高橋孝之専務
                  上田和泉記者

  中海テレビ放送は、地域貢献を社是として掲げ、これまでユニークな経営、番組作りをしてきました。
 一つは、日本のビデオジャーナリストの先達である神保哲生氏の指導で、ビデオジャーナリスト方式(1人で取材、撮影、編集、音入れをするスタイル)を実践。その成果として、国道死亡事故撲滅を達成。選挙ではすべての当選者に当選の弁を語らせ、地域の問題にどう取り組むか、知事や市長らの討論会をたびたび企画しています。また中海の浄化運動として「中海再生プロジェクト」に取り組むなど、住民の組織化に取り組んでいます。その結果、地域からはNHKを上回る信頼を集めています。その経営姿勢と、報道のあり方を紹介し、Q&Aを行います。(中海テレビは日経地域情報化大賞2008を受賞)
 <参考>
http://www.nikkeidigitalcore.jp/archives/2009/02/35.html
  
◆ セッション2 「地域を取り込むデジタル戦略」
    スピーカー 紀伊民報  上仲輝幸氏

 地方の新聞社でブログやSNSを活用しようという動きが活発になってきています。その中で、特にユニークなのは、和歌山県紀伊民報です。KiiLifeというポータルサイトには、地元の商店などの情報が掲載され、不動産屋や中古車ディーラーは、物件検索でビジネスを拡大しています。さらに商店のブログにSNS「みかん」の会員が関わるなどで、コミュニティとビジネスの相乗効果を挙げています。地域メディアがネットを活用する方法の先進例として、運営者の考えを述べていただき、ディスカッションします。

◆ セッション3 「シビック・ジャーナリズムから学ぶもの」
    スピーカー 河北新報社 寺島英弥氏

 米国では1990年代から、先進的な地方紙が、従来の行政機関提供のニュースを追いかけるのではなく、市民の暮らしに根付いた情報を掘り起こす「シビック・ジャーナリズム」という手法を実践しています。寺島氏は2002−3年に米国に留学してその模様を取材し、『シビック・ジャーナリズムの挑戦』(日本評論社)を著し、自らも多くの記事で、「市民の声から始まるジャーナリズム」を実践し、グループで日本新聞協会賞にも輝きました。
 地域メディアの報道の姿勢について、寺島さんにお話をしていただき、討論します。

 全体の司会とコメンテーターを坪田と藤代裕之が務めます。
□坪田 知己 1949年生まれ 日本経済新聞社で、社会部・産業部記者。日経のデジタル戦略を設計し、電子メディア局次長。日経地域情報化大賞を創設。現在、日経メディアラボ所長兼慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科教授。
□藤代 裕之 1973年生まれ 徳島新聞記者を経て、NTTレゾナント「goo」ニュースエディター、ブログ「ガ島通信」を執筆、北海道大学科学技術コミュニケーター養成ユニット(CoSTEP)サイエンスライティング担当。

<スケジュールと場所>
8月21日(金)13:30開始 会場は米子市コンベンションセンタービッグシップ(JR米子駅前。米子空港から約30分)を予定
13:30−14:00 参加者全員の自己紹介
14:15−16:00 セッション1 「地域貢献を掲げる放送局とは〜中海テレビの20年」
 16:15ー17:45 セッション2 「地域を取り込むデジタル戦略」
18:30ー19:30 食事 (皆生シーサイドホテルの予定)
19:45ー22時頃まで 懇親会
8月22日(土)
9:00−10:30 セッション3 「シビック・ジャーナリズムから学ぶもの」
10:45ー11:45 総括討論(中海テレビが番組として収録します)
  全体を総括して、これからの地域メディアのあり方を議論します。
  中海・高橋専務、河北・寺島氏、グローコム・庄司昌彦氏にパネルに出ていただき、坪田、藤代が司会をしてまとめます。


<宿泊など>
 皆生シーサイドホテル(米子市皆生温泉3−4−3 tel:0859−34−2222)を予定。
 http://www.sanin.com/seaside/
  2階に日本海を望む露天風呂がある素敵な観光ホテルです。

<エクスカーション> 土曜日の会議後、地元の見学などを企画しています。

<参加費>
 2万円 (食事・懇親会込み) 地域情報化研究コンソーシアム会員、会員団体、学生・院生は1万円
 宿泊・交通費は自己負担です。宿泊費は8000円程度の見込み。
  (参加定員は最大40人)

<参考>
羽田と米子を結ぶ飛行機はANAで、
21日 07:10羽田発 08:25米子着
   10:45羽田発 12:00米子着
   13:45羽田発 15:00米子着

22日 12:35米子発 13:55羽田着
   15:35米子発 16:55羽田着
   19:55米子発 21:20羽田着




◎ 参加申し込みについて

1) 氏名、所属、メールアドレス、電話番号
2) ご自身のプロフィール 200字以内
3) この情報をどこでお知りになったか
4) 参加動機 50−200字
5) 米子までの交通手段と米子への到着時間
6) 米子を去る時間と、帰りの交通手段
7) その他
以上を tomtsubo●gmail.com にご連絡ください。折り返し登録通知を差し上げます。

<記入例>
1)坪田知己 慶應大学教授 tomtsubo@gmail.com 090−5813−3207
2)日本経済新聞記者、デスク、電子メディア局次長を経て、2005年から日経メディアラボ所長。デジタルメディアビジネスを行う一方、大学でネットビジネスを教えてきました。
3)企画した本人です
4)少子高齢化に向かう日本を活性化させるには、地域メディアを立て直すことが急務と考え、合宿を企画しました。大いに勉強し、刺激を受けましょう。
5)21日 12:00米子着のANAで参ります。
6)22日夜 伯備線で岡山に向かいます。夜は岡山の実家です。
7)もしかすると、前夜、もしくは早朝便で米子入りする可能性もあります。
                           (以上:7月2日現在)

ご参考
慶應義塾大学地域情報化コンソーシアム>
 このコンソーシアムは、各地域の先進的取り組みの発掘、事例研究、プロジェクト実践など、総合政策学的アプローチによって、情報技術を活用した地域の問題解決のための具体的方策を探り、地域活性化、政策立案に貢献することを目的とする団体です。
 年会費は、幹事会員が100万円、一般会員は10万円です。

 詳しくは http://www.kri.sfc.keio.ac.jp/ja/consortium/rir.html

 このコンソーシアム内に「地域メディア分科会」があり、今回のイベントは分科会の活動として設営しました。分科会は年3-4回の勉強会を設営し、来春にレポートをまとめます。

 関心のある方は 坪田( tomtsubo●gmail.com )にご連絡ください。資料を送らせていただきます。
                                  以上

Wetな情報化とDryな情報化

Wetな情報化とDryな情報化


 最近、「情報化って何だろうか」と考えている。

 大学で、メディア論のゼミを持っていて、そこの学生たちは、「ネットと消費」「通信と放送の融合」「コンテンツ流通」「仮想空間」などのグループに分かれて、研究している。
 確かにインターネットが生活の中に浸透して、今までできなかったことができ、既存のメディアの領域を脅かし、さらに、SNSソーシャルネットワーキングサービス)、動画投稿サイトなどCGM(消費者参加型メディア)が花盛りだ。

 一方で私は、地域情報化に関わっている。日経地域情報化大賞の運営を通じて、500件ほどの事例をチェックしてきた。また数十の現場に足を運んできた。先日は、2008年2月末に横浜で開かれる第2回地域SNS全国フォーラムの準備会議にも出席した。

 そこでふと、情報化には「Wetな情報化とDryな情報化があるのではないか」という思いを持つに至った。
 
 12月20日総務省の研究会で、横石知二さんに再会した。横石さんは徳島県上勝町の株式会社いろどりの副社長。山の中にある紅葉や南天、笹などを、懐石料理の飾り物として東京や大阪の料亭に出荷するのが「いろどり」のビジネスだ。働いているのは、ほとんどが60歳以上のおばあちゃんたち。競うように仕事をして、この町のお年寄りは元気になり、老人ホームも閉鎖した。徳島県の市町村で第2位の高齢化率なのに、一人あたりの医療費は県の平均以下。ビジネスでお金が入り、朗らかになり、健康になっているのだ。
 おばあちゃんたちは、FAXで発注を受け、自分の実績をパソコンで確認している。

 http://www.nikkei.co.jp/digitalcore/local/18/index.html

 これはWetな情報化の例だ。

 翌12月21日、岐阜県のS町の担当者が来訪した。2011年、地上デジタル放送に完全移行すると、テレビが見られない家庭が増えるというのだ。そこで、CATVの導入と合わせて、ブロードバンド化したいという。高齢化が進む中で、老人の最大の娯楽であるテレビが見られなくなるのは困るというのだ。
 私はネット活用のアイデアを求められたのだが、「地域情報化」の根っこの発想が「テレビを見たい」ということには、少し驚いた。
 テレビが見られる、ネットで映像も楽しめるという期待・・・上勝町の事例とは対照的だと感じた。いわばDryな情報化というべきではないだろうか。ここには、上勝町のような生き生きと働く高齢者の姿はない。

 情報化というのは、「情報が簡単にたくさん手に入るので、便利だ」というイメージがある。しかし、多くの人はその便利さに溺れてしまっているのではないか。
 テレビがそうだった。文明の利器として、映像文化がそこで花開くと期待した人も多かった。しかし、広告を抱き込んで無料で見られることによって、「視聴率」という原理主義が横行し、それを稼ぐために、低俗なお笑い番組が横行した。ここでは一般の人(視聴者)は、メディア(放送局)に踊らされて、視聴率の1カウントにされる「客体」ではないかと思う。

 所詮、人間とは、社会とはそんなものかもしれない。

 わが、日経メディアラボの「メディア予測2008」もそうした状況を確認している。

 http://nikkeimedialab.jp/blog/2007/12/2008_52eb.html

 私が、「日経地域情報化大賞」を創設して取り組んだのは、「情報を活用できる地域」を育てたいからだった。だから、当初は意識的に税金を使う自治体主導のプロジェクトを避けてきた。地域の人々が創意と工夫で、地域を活性化しようとしている、その現場をクローズアップしたかったのだ。

 (注:『「元気村」はこう創る』という本に、日経とSFCがコラボした5年間の成果をまとめています。http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%85%83%E6%B0%97%E6%9D%91%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E5%89%B5%E3%82%8B%E2%80%95%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E3%83%BB%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%8C%96%E6%88%A6%E7%95%A5-%E5%9C%8B%E9%A0%98-%E4%BA%8C%E9%83%8E/dp/4532352916

 日本のインターネットの父、村井純氏は、「インターネットの仕組みは自律・分散・協調」と語る。システムの考え方も、それを作り、運営しているやり方もそうなっている。
 でも、現実のインターネットは、メールはスパムだらけ、Webも怪しいものがたくさんあって、子供にはフィルタリングが必要と叫ばれている。

 情報化社会、ネットワーク社会とは誰のものなんだろうか、自分は主体なのか客体なのか?

 私は、大学時代、ナチス・ドイツについて学んだ。あの狂気がなぜ生まれたのかというのを知りたかったからだ。ナチスは、1932年の国会選挙で、過半数は取れなかったものの、議会の第一党だった。つまり、ドイツ人の相対多数が支持した政党だったのだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84

 「良きこと」の裏に隠れた意外な結末・・・情報化社会もそうならないとは限らない。どこまで行っても、我々が加担した現実なのだから。

                       (2007年12月25日 坪田 知己)
 
 

 

誰が未来に責任を持つのか

昨年の竹中懇談会以降、「放送と通信の融合」の問題で議論が盛り上がっている。

総務省は、「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」(座長:堀部政男 一橋大学名誉教授)でまとめた「中間取りまとめ」について、6-7月にパブコメを募集した。

そのパブコメでは、融合に向けた法整備に賛成意見はほとんどなく、個々の問題で、反対意見がいくつも出されたということだ。

いったい、今、我々は何をしようとしているのか・・・という原点で、足並みがまったくそろっていない感じで、これをどのようにまとめていくのか、相当な困難が予想される。

9月11日、東京の某所で、この問題の議論があった。学者、放送業界の人、元役人などがメンバーだった。

そこでは、根っこにある著作権問題をどうするか、グローバルスタンダードと日本の標準をどうするか・・・などが議題になった。

この問題に対しては、当初から既得権益を守りたい民放が強く反対している。著作権についても民放は保守的だ。

それに対して、役所がどのような説得を行い、新ルールを作るかだ。

従来、放送・通信、コンテンツの世界では供給者(クリエーターと業者)と、消費者が対立しており、供給者は金儲けをしたいし、消費者は安く、出来ればただで使いたい。

そこにインターネットが登場して、Youtubeのような、無料放送が人気になっている。それに供給者、特に民放が神経を尖らせている。

さて、法制度の整備に当たって、何を実現すべきかだが、大目標は少子高齢化で生産人口が減る中で、高付加価値の産業を維持する必要のある日本は、「創造大国」を目指すべきだということだ。これには大方の同意は得られるだろう。

そこを基点に、創造力のある若者たちが活躍できる舞台を作るのが、今回の法整備の目的ではないか。

2次編集、2次創作といったものもルール化して、自由にのびのびと創造力が発揮でき、それにお金が還流する仕組みを作るべきだ。

出来上がった人たちの著作権を75年も守って、ビジネスや創造力を萎縮させるのが文化国家なのだろうか。

ところが、議論は常に目先の利害で展開する。未来の利害を代表する人はいないのだ。

ここでぜひ言いたいのは、学者の人に「未来の幸せ」のロジックを創って欲しいということ、行政も単なる利害調整に終わらず、世界に向かって「日本方式」を打ち出す気概を持って欲しいと思う。

議論に参加しながら、そのように強く思った。

コミュニケーションはズレを楽しんでこそ

 昨夜(7日夜)、黒川伊保子さんと食事をした。いろんな刺激があった。もやもやしていた部分がスッキリして気持ちよかった。忘れないうちに書いておこう。

 黒川さんは、コンピュータ会社でマン・マシン・インタフェースの研究をしていて、独立して「感性リサーチ」という会社を作り、ネーミングのコンサルタントをしている。一方で『日本語はなぜ美しいのか』(集英社新書)、『女たちはなぜ「口コミ」の魔力にハマるのか』(KKベストセラーズ)などという本を著している。

 「サ行は爽快感」「恐竜の名前はガギグゲゴ」などと書いていて、聞いてみると、こういう理論の第1人者、木通隆行氏に師事していたという。木通氏が「自分にそう聞こえるから」と自分の主観で判断していることに、「それでは客観性がない」と、舌の運動、空気の流れなどを分析して、客観的な説明に昇華させたのが黒川理論ということだった。

 そういうことは、話し合う前から予想されたので、そんなにどうとも思わなかった。

 いろいろ話していくうちに、黒川さんのコミュニケーションについての考えは、世間で考えられ、使われているコミュニケーションのあり方、考え方とは違っていることがわかった。しかもそれは、私がぼんやりそう思っていたことを、明快に説明したものだった。

 まず、黒川さんは、「人間同士が話をしているとき、Aさんの話を聞いて、Bさんは自分の語彙でそれを解釈して受け取る。つまり自分が自分を聞いている」という。これは記号論の考え方と一致するもので、これもそんなに驚かなかった。
 
 ところがそれを拡張して、黒川さんは「コミュニケーションは、そのズレ(伝えたいことが伝わらなかったり、誤解されたりすること)を楽しむもの」と言う。「うーん、これは達人だ」と一気に感動。

 というのは、記号論などでも、そのズレを埋めようとする。つまりコミュニケーションは「伝わらねばならない」「伝わるべきだ」という脅迫で考えられている。

 なぜ「脅迫」なのか。それは、我々が自分を省みればわかる。我々のコミュニケーションの多くは、「人を自分の言うようにさせたい」という支配の欲望を含んでいる。だから「伝わらなければ困る」のだ。こうした欲望をベースにピラミッド構造の社会、組織が成立している。それを黒川さんは、ある意味、笑い飛ばす。ズレているのが正常で、それを楽しめばいいのだと。

 この夜の出会いをセットしてくれたのは、Oさん。彼女はNTTドコモの携帯電話にfeel*talkというアプリケーションを開発して組み込んだ人。feel*talkとは、会話の後に、アニメの人形が飛んだり、はねたりするもの。声の表情を分析して、それをアニメの動きにしているのがミソ。

 それについて、黒川さんは、「自分では楽しかったのに相手にそうは受け取られない。どうしてそうなったのかを自省するのがfeel*talkの意味」と解説した。なるほどと思う。これも「ズレを楽しむ」考えに沿っているわけだ。

 あれこれ話しているうちに、私の頭に、「表出する自己」「受容する自己」という言葉が浮かんできた。また「プラスのズレ」「マイナスのズレ」というのもあるのではないかと。
 つまり、黒川理論だと「コミュニケーションの基本は自分との対話」なので、他人から聞く言葉はそれへの「刺激」になる。自分が99%考えていたことに、他人が何かの言葉を言ったことで、100%になる。そういう状況では「プラスのズレ」になる。
 一般的には「考えが伝わらない」というマイナスのズレが問題視されるが、それは前述した「伝わるべきという、送り手の欲望」ベースの考え方だ。
 コミュニケーションを話し手と聞き手がやるゲームのように考えるのが、「黒川流」だ。つまり「コミュニケーションの相対性理論」か。

 一般に、自分の個性は、話したり、書いたり、演技したりという「表出」で判断される。しかし、黒川流に考えると、相手の言葉を刺激として受けながら、自分の概念を高度化させるという自己=受容する自己・・・という「もう一つの個性」が浮かび上がる。

 コミュニケーション力は一般にプレゼンテーションのような「伝える力」で判断されがちだが、一方で「受け取る力」が伸びてこないとバランスが取れない。

 上記のような刺激を受けた、楽しい3時間半。お疲れ様でした。

松岡正剛氏の『知の編集工学』に感じた違和感

松岡正剛氏の『知の編集工学』(朝日文庫)を読んだ。面白かった。でも違和感は解消されない。

年来、松岡正剛氏とか西垣通氏の「情報」についての言説に相当の抵抗感があった。
松岡氏は、無類の読書人であり、博覧強記である。それで、彼の書く文章は、いつもペダンティックで、「わかりやすく、よみやすい」を尊重してきた私には受け入れがたいものがあった。

『知の編集工学』は、彼が「編集工学」を志した動機と、その目指すところを書いた本である。
 私も「情報は編集されないと、役に立たない」とか、「編集力こそがコンテンツの価値を高める」と年来強調してきただけに、この本は、気になる本だった。

 冒頭の「編集はどこにでもある」は、その通りだ。私は編集のポイントは、「プライオリティ」「一覧性」「読者のコンテキストとの親和性」だと考えており、テーブルの上の物の配置とか、パーティーのセッティングや進行なども編集だと言ってきたので、違和感はない。
 一番納得したのは、「経済と文化を重ねる」の項目だ。機械的な送受信と人間的な送受信の差の問題をさらに展開して「エディティング・モデルを交換する」という発想はいい。
 「経済と文化を切断するな」という主張もいい。「『聞き耳を立てる第三者』こそが、たがいの商品価値を新たな情報価値として編集する、最初の<経済文化のエディターなのだ>」というのは、「『目利き』が市場の盛り立て役になる」という私たちの主張そのものだ。

 「歴史の中のエディターシップ」という項には、17世紀末に英国で流行したコーヒーハウスの意味づけが書いてある。ここで「コーヒーハウスはジャーナリズムと株式会社と政党と広告と犯罪とクラブをつくった」という解説は興味深い。
 これは現代において、blogとSNSが構築しつつある文化と微妙に一致しているような感覚にとらわれる。

 そのほかにも、いくつも発見があった。
 とはいえ、最後になって、やっぱり違和感が残った。

 なぜなのか考えてみた。

 松岡氏も私もプロの編集者だった。私は新聞と雑誌、松岡氏は雑誌と書籍の編集者だった。

 しかし、私がジャーナリストになったのは、「社会を再設計したい」という動機からだった。父が特攻隊員だったり、幼時に広島で過ごして、原爆の災禍を知ったことが、コミュニケーションを通じての平和の達成という目標になった。ということで私は、編集を「伝える技術」としてみてきた。
 「世界は進歩する」と私は考えている。進歩の原動力は人間の欲望である。その欲望を調整するために、国家とか企業とか、様々な社会システムがある。この社会システムが健全であれば、多くの人が自分の潜在能力を顕在化させ、自己実現ができる。そういう社会を再設計したいと考えてきた。

 一方で、松岡氏は、私の目から見ると、「編集に埋没する自分の喜び」を語っているように見える。彼の編集工学は、編集そのものが目的化している。編集的世界観の獲得が編集工学の目的になっている。
 「世界を編集する」ということは、古来、哲学や宗教がやってきたことだった。編集工学研究所の人たちの話を聴いていると、何か宗教の布教活動のように聴こえてしまうのは、私だけではないだろう。

 要するに、認識派と実践派の違いではないかと思う。松岡氏は膨大な知識宇宙を編集的世界観で記述したいと思っているようだ。私は、編集技術を磨くことで、コミュニケーションをスムーズにして、「情報共有による協働」という形で、自立分散協調型の社会を実現していきたいと思う。ということで、私にとっての「編集」は、あくまで道具であり、技術なのだ。

 この本から学んだことは少なくない。そこから新たな社会設計の知恵も出てきそうだ。もう一度読み返して、私のエディティング・モデルの中に、この本の知識を取り込みたい。