コミュニケーションはズレを楽しんでこそ

 昨夜(7日夜)、黒川伊保子さんと食事をした。いろんな刺激があった。もやもやしていた部分がスッキリして気持ちよかった。忘れないうちに書いておこう。

 黒川さんは、コンピュータ会社でマン・マシン・インタフェースの研究をしていて、独立して「感性リサーチ」という会社を作り、ネーミングのコンサルタントをしている。一方で『日本語はなぜ美しいのか』(集英社新書)、『女たちはなぜ「口コミ」の魔力にハマるのか』(KKベストセラーズ)などという本を著している。

 「サ行は爽快感」「恐竜の名前はガギグゲゴ」などと書いていて、聞いてみると、こういう理論の第1人者、木通隆行氏に師事していたという。木通氏が「自分にそう聞こえるから」と自分の主観で判断していることに、「それでは客観性がない」と、舌の運動、空気の流れなどを分析して、客観的な説明に昇華させたのが黒川理論ということだった。

 そういうことは、話し合う前から予想されたので、そんなにどうとも思わなかった。

 いろいろ話していくうちに、黒川さんのコミュニケーションについての考えは、世間で考えられ、使われているコミュニケーションのあり方、考え方とは違っていることがわかった。しかもそれは、私がぼんやりそう思っていたことを、明快に説明したものだった。

 まず、黒川さんは、「人間同士が話をしているとき、Aさんの話を聞いて、Bさんは自分の語彙でそれを解釈して受け取る。つまり自分が自分を聞いている」という。これは記号論の考え方と一致するもので、これもそんなに驚かなかった。
 
 ところがそれを拡張して、黒川さんは「コミュニケーションは、そのズレ(伝えたいことが伝わらなかったり、誤解されたりすること)を楽しむもの」と言う。「うーん、これは達人だ」と一気に感動。

 というのは、記号論などでも、そのズレを埋めようとする。つまりコミュニケーションは「伝わらねばならない」「伝わるべきだ」という脅迫で考えられている。

 なぜ「脅迫」なのか。それは、我々が自分を省みればわかる。我々のコミュニケーションの多くは、「人を自分の言うようにさせたい」という支配の欲望を含んでいる。だから「伝わらなければ困る」のだ。こうした欲望をベースにピラミッド構造の社会、組織が成立している。それを黒川さんは、ある意味、笑い飛ばす。ズレているのが正常で、それを楽しめばいいのだと。

 この夜の出会いをセットしてくれたのは、Oさん。彼女はNTTドコモの携帯電話にfeel*talkというアプリケーションを開発して組み込んだ人。feel*talkとは、会話の後に、アニメの人形が飛んだり、はねたりするもの。声の表情を分析して、それをアニメの動きにしているのがミソ。

 それについて、黒川さんは、「自分では楽しかったのに相手にそうは受け取られない。どうしてそうなったのかを自省するのがfeel*talkの意味」と解説した。なるほどと思う。これも「ズレを楽しむ」考えに沿っているわけだ。

 あれこれ話しているうちに、私の頭に、「表出する自己」「受容する自己」という言葉が浮かんできた。また「プラスのズレ」「マイナスのズレ」というのもあるのではないかと。
 つまり、黒川理論だと「コミュニケーションの基本は自分との対話」なので、他人から聞く言葉はそれへの「刺激」になる。自分が99%考えていたことに、他人が何かの言葉を言ったことで、100%になる。そういう状況では「プラスのズレ」になる。
 一般的には「考えが伝わらない」というマイナスのズレが問題視されるが、それは前述した「伝わるべきという、送り手の欲望」ベースの考え方だ。
 コミュニケーションを話し手と聞き手がやるゲームのように考えるのが、「黒川流」だ。つまり「コミュニケーションの相対性理論」か。

 一般に、自分の個性は、話したり、書いたり、演技したりという「表出」で判断される。しかし、黒川流に考えると、相手の言葉を刺激として受けながら、自分の概念を高度化させるという自己=受容する自己・・・という「もう一つの個性」が浮かび上がる。

 コミュニケーション力は一般にプレゼンテーションのような「伝える力」で判断されがちだが、一方で「受け取る力」が伸びてこないとバランスが取れない。

 上記のような刺激を受けた、楽しい3時間半。お疲れ様でした。