コンテンツからコンテキストへ

コンテンツからコンテキストへ

現在、情報化社会への移行の中で、マスメディアの衰退が顕在化し、コンテンツ・ビジネスも著作権管理などの問題に直面している。

一方で、SNS、ブログ、twitterなどが広がっている。

コンテンツを取引するという形態は、進歩が遅い時代に、パッケージ化(新聞、本、、雑誌、レコード、CD、DVDなど)して渡すということで定着した。
著作権はもともと出版業者が国王からの認可として得た権利だ。これらは売る側からの攻め口だった。

個々の視聴者、利用者の側から見てみると、我々は個別のコンテンツを買うように見えながら、その背景には、それぞれの人間特有の趣味や関心といったコンテキスト(文脈)に従って買っている。

コンテキストは、パーソナルなものもあるが、グループレベルのものもあり、国家レベルのものもある。供給側が提供するものも、需要側から盛り上がるものもある。そうしたコンテキストがクロスしたところで取引が盛り上がる。コンテキストがないジャンルのコンテンツにはほとんど価値がない。

twitterなどでは、コンテキストを時間的にストリーム化しながら、情報交換する状況が見られる。RSSトラックバックも、コンテキストに従ってコンテンツを結びつける行為だ。

あるいは行動ターゲティングという手法はコンテキストを追うというものだ。

私は、情報化社会の中で「目利き」の役割に注目している。目利きは、コンテキストに対してナビゲーションを提供し、コンテンツ上での価値の優劣をガイドして、時間の無駄を制御している。

アインシュタインは、それ以前にあった絶対空間、絶対時間という考え方に対して、普遍なのは光の速度であって、時間も空間も歪むという相対性理論を提示した。

現在の、情報化社会の閉塞状況を打破するために、コンテンツ至上主義をやめ、コンテキストを軸に情報化社会を再認識し、新しい取引や規制の考え方を提示できないだろうか・・・・私はそう考えている。

コンテキストが基軸と考えれば、コンテキストを提供する情報環境が取引単位になる。
アップルのiTunesは、アルバムに対して1曲単位のばら売りで人気になったというが、供給側のパッケージ化を制御して、ユーザーのコンテキストに曲を提供していると考えた方が正解だ。

レコメンデーションやレピュテーションもコンテキストの流れの効率化を高める行為だといえよう。

現在、新聞社のサイトを有料化する動きがあるが、これもコンテキストを提供する環境を用意できるかどうかがポイントになると考えられる。

これは、「思考実験」である。近代化の中で生まれた枠組みを、現在の技術と社会状況を背景に解体し、再構成して、実態に合わせた経済を創出できれば、成功である。

「コンテンツはコンテキストの支配下にある」という常識が普遍化することが、この思考実験の終着点である。

この問題にご関心のある方は、コメントをいただければ幸いである。