誰が未来に責任を持つのか

昨年の竹中懇談会以降、「放送と通信の融合」の問題で議論が盛り上がっている。

総務省は、「通信・放送の総合的な法体系に関する研究会」(座長:堀部政男 一橋大学名誉教授)でまとめた「中間取りまとめ」について、6-7月にパブコメを募集した。

そのパブコメでは、融合に向けた法整備に賛成意見はほとんどなく、個々の問題で、反対意見がいくつも出されたということだ。

いったい、今、我々は何をしようとしているのか・・・という原点で、足並みがまったくそろっていない感じで、これをどのようにまとめていくのか、相当な困難が予想される。

9月11日、東京の某所で、この問題の議論があった。学者、放送業界の人、元役人などがメンバーだった。

そこでは、根っこにある著作権問題をどうするか、グローバルスタンダードと日本の標準をどうするか・・・などが議題になった。

この問題に対しては、当初から既得権益を守りたい民放が強く反対している。著作権についても民放は保守的だ。

それに対して、役所がどのような説得を行い、新ルールを作るかだ。

従来、放送・通信、コンテンツの世界では供給者(クリエーターと業者)と、消費者が対立しており、供給者は金儲けをしたいし、消費者は安く、出来ればただで使いたい。

そこにインターネットが登場して、Youtubeのような、無料放送が人気になっている。それに供給者、特に民放が神経を尖らせている。

さて、法制度の整備に当たって、何を実現すべきかだが、大目標は少子高齢化で生産人口が減る中で、高付加価値の産業を維持する必要のある日本は、「創造大国」を目指すべきだということだ。これには大方の同意は得られるだろう。

そこを基点に、創造力のある若者たちが活躍できる舞台を作るのが、今回の法整備の目的ではないか。

2次編集、2次創作といったものもルール化して、自由にのびのびと創造力が発揮でき、それにお金が還流する仕組みを作るべきだ。

出来上がった人たちの著作権を75年も守って、ビジネスや創造力を萎縮させるのが文化国家なのだろうか。

ところが、議論は常に目先の利害で展開する。未来の利害を代表する人はいないのだ。

ここでぜひ言いたいのは、学者の人に「未来の幸せ」のロジックを創って欲しいということ、行政も単なる利害調整に終わらず、世界に向かって「日本方式」を打ち出す気概を持って欲しいと思う。

議論に参加しながら、そのように強く思った。