やっと「未来の働き方」を考える時期に来た

やっと「未来の働き方」を考える時期に来た


坪田 知己(前電子ペーパーコンソーシアム委員長)



 さる2月22日、電子ペーパーコンソーシアムは毎年1回のシンポジウム(場所は日比谷図書文化館)を開催した。そこで「未来の働き方とそのツール」というパネル討論を行った。
 私にとって、「働くこと」の本質を考えることは学生時代以来40年以上取り組んできたテーマで、やっと2010年代に入って、私の考えてきたことが具現化される一歩手前まで来たと感じている。


 働くことは「楽しみ」か「隷属」か


 「働くことは収入を得ることが主眼であり、そのために雇用主の指示に従って黙々と頑張る」というのが、これまでの一般常識だった。それが、今も大きな話題になっている「就活」問題の背景だ。
 私はジャーナリストの道をめざし、新聞社の入社試験に落ちたら故郷で高校の教師になるつもりだった。「読者に真実を伝える」という仕事以外に興味のある仕事はなかったし、「何が何でもどこかに就職して」とは考えなかった。職業を選んだのであって、会社を選んだのではなかった。
 私の学生時代は、全共闘運動の時代で、学生はマルクスの本を読むのが通例だった。そんな中で、共産主義とか人間疎外について考えていた。
 当時読んだ本で印象に残っているのが、ノーベル文学賞を受けたソルジェニツィンが書いた小説『イワン・デニーソヴィチの一日』だった。
 ソ連強制収容所で働かされている主人公の1日を書いたもので、共産主義国の恥部を暴露したとも言われ、「人間賛歌」だとも評されている。私は単純労働の中に小さな喜びを見出す「人間の哀しさ」に打たれた。
 ポルノ小説の秀作とされている『O嬢の物語』に「奴隷状態における幸福」という序文が付いている。1838年西インド諸島のバルバドス島で奴隷状態から解放された黒人が、「元の身分に戻りたい」と元の主人を虐殺し、元の奴隷小屋に戻ったという話だ。
 人類の歴史は、奴隷制封建制絶対王政という歴史を経て、民主主義に到達した。フランス革命の標語は「自由・平等・博愛」で、人間が自由を獲得することの重要性を高らかに謳いあげた。
 ところが、世の中には、「誰かに従って働くことをよしとする人」が大量に存在する。
 社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、主著『自由からの逃走』(1941年)で、ファシズムの勃興を心理学的に分析し、サディズムマゾヒズムおよび権威主義を人間の自由からの「逃走のメカニズム」とし、「自由」に伴う自己責任を回避する人々は、誰かの支配下に入って、それに隷属することを是とすると書いた。要するに「ゴマすり」が幅を利かせるのだ。
 私は従業員約3000人の企業で働いてきたが、在職中のストレスの8割は社内のヒエラルキーの重圧と戦うことだった。不勉強な上司の指示に従うことは大きな苦痛だった。そこで、「階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに到達する。やがて、あらゆるポストは、職責を果たせない無能な人間によって占められる」という“ピーターの法則”を固く信じている。
 「働く」とは、「傍(はた)の人を楽にする」ことで、そのことによって「顧客から感謝されることに喜びを見出す」のが本来の姿だと思う。しかし、出世競争などでストレスまみれになり、組織は、組織そのものの力学で、人間を圧殺しようとする。
それとどう戦うか・・・私の会社人生のメインテーマがそれだった。「遊労一致」――労働は遊び、遊びが労働・・の実現を密かにたくらんでいた。


 インターネットが扉を開けた


 1994年に私は処女作『マルチメディア組織革命』を上梓した。意外な人気で1万部近く売れ、韓国に翻訳出版権を売った。
 この本には「個を主役にするビジョン駆動型組織の提案」という副題をつけた。
 この本の冒頭にこう書いた。


   やる気を失っている人に、生気を吹き込むのは「責任」である。
   情報を収集する自由と道具を与え、判断を尊重し、成果を配分することを告げれば、人は生き生きとして働く。
   情報を与えず、責任もなく、成果の配分のルールもなければ、いい仕事はしない。
  「心を燃やせるかどうか」――経営の質、従業員の働きがいは、この一点にかかっている。
   マルチメディアとネットワークは、個人が幅広く情報を与えるための不可欠の知的インフラストラクチャーである。
   これによってピラミッド組織を崩し、「個」を主役にした自律・分散・協調の経営が可能になった。


 ここで書いた予言は、今にして思えば、寸分の狂いもなく、経営の未来を見通していたと言えるだろう。
 昨年邦訳が出てベストセラーになっている『ワークシフト』(リンダ・グラットン著、ダイヤモンド社)を読んで驚いた。
 この本は、1)高度な専門技能を習得し続ける、2)友人などの人間関係資本をはぐくむ、3)お金に隷属する価値観を見直し、創造的で質の高い経験を大切にする−−のが未来の働き方の3原則だと結論付けている。
 なんと、自分は1980年代の半ばにそのことに気が付いていた。その理論編が『マルチメディア組織革命』で、実践記録が2010年に出版した『人生は自燃力だ!!』(講談社)である。 
『ワークシフト』にも書かれているように、インターネットこそが、仕事の大転換を生み出した決定要因だった。
 情報は上層部が握り、ヒラ社員は命令通りに動かされるだけ・・・という現代の奴隷制は通用しなくなった。むしろ一次情報を知らない上層部が「情報のタコツボ」にはまっているのが現実の姿だ。


「第2のルネッサンス」が進行中


 私は、こうした状況を「第2のルネッサンスが進行中」と言っている。
 14−16世紀にイタリアで起きたルネッサンスは、キリスト教支配の暗黒時代を打破して古典古代の文芸を復興する運動だった。
 人類の歴史を見ると、古代から封建時代、絶対王政の時代まで、支配とは暴力=武力だった。フランス革命に始まった市民革命は、一方で産業革命による経済力を握ったブルジョアジーが台頭し、王制を打破して民主主義を標榜した。
 とはいえ、民主主義は建前で、実質的には経済発展を目標に、財界と官僚が実質権力を握り、民衆は軽薄なマスコミの踊らされながらお芝居を演じたのが過去100年だった。
民主主義が本物にならなかったこと、あるいはマルクスが目標とした共産主義革命が実現しなかった真の要因は「機械文明」だった。
 産業革命は、電気の発明とその普及で、19世紀末から第2段階に突入する。そのことで、ワットの蒸気機関や、ハーグリーブスやアークライトの紡績機、カートライトの力織機などの機械がさらに精密になり、小型化し高速化した。
 機械文明の普及は世界を一変した。実は19世紀中盤から20世紀末まで、世界を支配したのは「機械の魔法」だった。
 アルビン・トフラーは主著『第三の波』の中で、工業社会の原則を6つにまとめた。「規格化」「分業化(専門化)」「同時化」「集中化」「極大化」「中央集権化」がそれだ。
 機械文明の急速な進歩に人々は、とにかく「付いていくしかない」で過ごした150年だった。
 ギュウギュウ詰めの地下鉄で“痛勤”し、大工場や大きなオフィスにたどり着き、ヒエラルキー型の組織で叱られ、残業し、屋台で上司の悪口を言って深夜帰宅・・・それが1960−80年代のサラリーマンの姿だった。考える余地もなく、マスプロ・マスセールスの大波に流されていた。
 要するに、人間も大きな機械の部品にされてしまったのだ。「それ以外に生きる道はない」という妄想にとらわれ、それが昨今の就活の難しさに結びついている。
 『ワークシフト』でリンダ・グラットンは、社会起業、ミニ起業家、グローバルな連携などで、主体的に働けるフィールドが広がる未来を提示している。
 つまり、機械文明と大組織の専横が過去のものとなり、インターネットを使って連携することで、一人やチームの単位で働ける可能性が広がっている。やっと人間は「人間らしい働き方」を取り戻せるところに達したのだ。


 未来のオフィスはどうなる?


 2011年8月の夜、私は京都工芸繊維大学の仲隆介教授からの電話を受けた。同大学の次世代ワークプレイス研究センター(略称:NEO3)の活動に参加してほしいという熱烈なラブコールだった。
「報酬に条件はありません。面白くなければすぐに辞めます」と返答した。以来1年8か月、毎月1回の研究会が楽しくて仕方がない。
 まず、私が言ったことは、「仕事の定義」だった。これまでは9時から5時まで、オフィスにいることが「仕事」だった。しかし、インターネットの普及で、どこにいてもパソコンさえあれば仕事ができる。「場所」と「時間」は要件ではなくなった。逆に「意思(やる気)」が要件になった。
 次に仲間と議論して「モザイク人」というモデルを考えた。これまでは一つの会社に専属しているのが普通だった。しかし、週末にボランティアをやったり、アフターファイブにNPOの活動をしている人が増えている。自分の能力を多角的に活用して、複数のチャネルで社会につながっている・・・これを「モザイク人」と定義した。
 そういう働き方が増えて当然で、それを促進するために、チームメンバーとの出会いの場として「リマッチング・プラットフォームの構築」をテーマに掲げた。
 NEO3の協賛企業はゼネコン、オフィス家具メーカー、IT企業など。仲教授は建築学が専門で、目指すは「新しいオフィスの姿」なのだが、議論はそこになかなかリンクしない。メンバーもそれを楽しんでいる。
 オフィスが事務作業の場ならば、それはインターネット接続さえあればできるので、「いらない」が帰着点だ。
 ただ、仕事の中で「会議」「議論」は必要だ。もちろんテレビ会議スカイプでもできるが、集まった方が効率がいいように感じる。その場合、植木鉢や花があるようなリラックスした空間、サロンのような雰囲気が好まれるのかもしれない。


 「企業」を実践した経験


 2009年に日本経済新聞社を定年退職した私は、翌年3月にフリーライターの女性と会社を設立した。編集プロダクション的な会社だった。
固定費を抑えたいので、友人の会社(東京・赤坂)に机と椅子を貸してもらっただけで、日常的には自宅と出先が仕事の空間だった。
 昨年5月に会社を彼女に譲渡したので、都心での仕事は所属している日本記者クラブ(東京・内幸町)のコーヒールームだ。そこで来客と会ったり、無線LANを利用して雑用をしている。
 この会社は文章講座「稿輪舎」を運営しているため、そのスクーリングの場所が最低限必要だ。赤坂のオフィスがふさがっている時は渋谷の「電源カフェ」を利用したこともある。
 最近、独立して働く人のためにコワーキングスペースや貸会議室が増えている。そこでは電源と無線LANが必需品だ。ミーティングや来客との応対が広いスペースのあちこちのテーブルで自在に行われている。
 一方、私は横浜で地域おこしを目的とした会社を作り、出資し、取締役になった。この会社はなかなか集まれないので、メールとSNSのコミュニティ、スカイプで会議をしている。登記上の場所はあるが、そこには何もない。たまに郵便が来るので、それを保管してもらっている程度だ。
 結局のところ、私の結論は「オフィスは不要」だ。
 4年ほど前、京都工繊大が発行した未来のオフィスをテーマにした本に、「理想のオフィス」の寄稿を頼まれた。
 この時、「それは露天風呂だ」と書いた。ネット接続さえ可能なら、どこでも仕事ができる。一番快適な場所が選べる。その寄稿に学生が、サルが露天風呂に入っている写真を添えてくれた。
 徳島県は県内にCATVのために光ファイバーが敷設され、高速インターネットが使える。そこで山間の古民家に東京の会社がメインオフィスを移転してきた。清流のせせらぎに足を浸しながら、社員たちは遠隔で顧客とやりとりしている。
それを見ると、都会で痛勤電車に押し込まれている人間がなんとミジメかと思う。


選択肢は広がっている


 10年前に比べれば、仕事の多様性は何倍にも広がっている。
 地域おこしでパートナーになっている女性たちは、興味深い仕事ぶりだ。Mさんは、企業の人事面接を手伝い、自宅では翻訳の仕事をし、小学生の子供を育て、地域の集まりにも頻繁に出席している。要するに「働かされている」という受け身ではなく、主体的に時間管理をしている。
 『ワークシフト』の最後の方に、「なぜ、私は働くのか」という質問への答えが列記してある。
1) 私が、働くのは、一緒にいて楽しく、いろいろなことを学べる同僚たちと過ごしたいからです。そういう人眼関係をとても大切にしています。
2) この仕事の好きな点は、手ごわい課題に取り組めることです。難しい課題、本気で努力しないとやり遂げられそうにない課題、そして、アドレナリンがわき出すような課題に挑むことが楽しいのです。
3) 私が働くのは、学ぶためです。自分のアイデアをすべて実現したいと思っています。私にとって、仕事は学習のための素晴らしい場なのです。
4) 自分が進歩していると感じられる場に身を置くことにより、強い刺激を受けています。自分を厳しい環境に追い込み、自分の技能を向上させていると感じられるのは、素晴らしい経験だと思っています。

 「充実した経験」「情熱を傾けられる経験」「一種に学べる同僚たち」・・・私の会社(日本経済新聞社)での人生はそれだった。120%満足している。「やり遂げた」という快感を持って定年を迎えられた。
 定年後も私の忙しさはほとんど変わらない。
 2010年の後半は、地域再生マネージャーの成果を追って、北海道から沖縄まで12カ所を旅して、テレビ番組を制作し、本を書いた。
 2011年から、地域レポーター養成などを名目に全国7カ所で文章講座を実施し、200人ほどの受講生を教え、好評を得ている。
 すべてこれは収入のためではなく、自分の勉強と、教えた相手の成長する姿、喜びを見るのが楽しいからだ。暇だからゴルフや旅行で時間つぶしするような発想は私にはない。それよりずっと楽しいからだ。


 事務機器業界への提言


 JBMIA(ビジネス機械・情報システム産業協会)に集まる事務機器メーカーの方々は、もう10年もすれば、産業の姿の激変を体験するでしょう。
 いま、世界のあらゆる産業は「サービス化」への一本道を走っている。
 単に製品作って売る(オープンエンド型)ではなく、その製品がユーザーの手元でどう使われ、役になっているかを総合的にサービスする(オープンスタート型)になって行く。
 ファシリティ・マネジメントという業種がある。「施設管理」と訳されているが、「その本質はホスピタリティだ」と、知人の専門家は喝破している。
 事務機器や家具、内装などはファシリティの部材に過ぎない。
 まず考えてほしいのは、前述した「仕事の本質」であり、その変化だ。
 そして、快適に仕事ができる環境。それに必要な機能だ。
 「ホスピタリティ」ということでは、わが国には「おもてなし」という優れた文化がある。これをリファインすれば、世界最高のものができるだろう。
 欧米から学ぶのではなく、自ら新しい業態を創り出し、世界を先導してほしい。
 そのために、電子ペーパーコンソーシアムで過去約3年議論してきた「未来の働き方」を、JBMIAの中でしっかり見つめ、進路を決めてほしい。
 それは今が絶好のチャンスだと信じている。


 (2013年4月発行の「JBMIAレポート」への特別寄稿)

                            (了)