Wetな情報化とDryな情報化

Wetな情報化とDryな情報化


 最近、「情報化って何だろうか」と考えている。

 大学で、メディア論のゼミを持っていて、そこの学生たちは、「ネットと消費」「通信と放送の融合」「コンテンツ流通」「仮想空間」などのグループに分かれて、研究している。
 確かにインターネットが生活の中に浸透して、今までできなかったことができ、既存のメディアの領域を脅かし、さらに、SNSソーシャルネットワーキングサービス)、動画投稿サイトなどCGM(消費者参加型メディア)が花盛りだ。

 一方で私は、地域情報化に関わっている。日経地域情報化大賞の運営を通じて、500件ほどの事例をチェックしてきた。また数十の現場に足を運んできた。先日は、2008年2月末に横浜で開かれる第2回地域SNS全国フォーラムの準備会議にも出席した。

 そこでふと、情報化には「Wetな情報化とDryな情報化があるのではないか」という思いを持つに至った。
 
 12月20日総務省の研究会で、横石知二さんに再会した。横石さんは徳島県上勝町の株式会社いろどりの副社長。山の中にある紅葉や南天、笹などを、懐石料理の飾り物として東京や大阪の料亭に出荷するのが「いろどり」のビジネスだ。働いているのは、ほとんどが60歳以上のおばあちゃんたち。競うように仕事をして、この町のお年寄りは元気になり、老人ホームも閉鎖した。徳島県の市町村で第2位の高齢化率なのに、一人あたりの医療費は県の平均以下。ビジネスでお金が入り、朗らかになり、健康になっているのだ。
 おばあちゃんたちは、FAXで発注を受け、自分の実績をパソコンで確認している。

 http://www.nikkei.co.jp/digitalcore/local/18/index.html

 これはWetな情報化の例だ。

 翌12月21日、岐阜県のS町の担当者が来訪した。2011年、地上デジタル放送に完全移行すると、テレビが見られない家庭が増えるというのだ。そこで、CATVの導入と合わせて、ブロードバンド化したいという。高齢化が進む中で、老人の最大の娯楽であるテレビが見られなくなるのは困るというのだ。
 私はネット活用のアイデアを求められたのだが、「地域情報化」の根っこの発想が「テレビを見たい」ということには、少し驚いた。
 テレビが見られる、ネットで映像も楽しめるという期待・・・上勝町の事例とは対照的だと感じた。いわばDryな情報化というべきではないだろうか。ここには、上勝町のような生き生きと働く高齢者の姿はない。

 情報化というのは、「情報が簡単にたくさん手に入るので、便利だ」というイメージがある。しかし、多くの人はその便利さに溺れてしまっているのではないか。
 テレビがそうだった。文明の利器として、映像文化がそこで花開くと期待した人も多かった。しかし、広告を抱き込んで無料で見られることによって、「視聴率」という原理主義が横行し、それを稼ぐために、低俗なお笑い番組が横行した。ここでは一般の人(視聴者)は、メディア(放送局)に踊らされて、視聴率の1カウントにされる「客体」ではないかと思う。

 所詮、人間とは、社会とはそんなものかもしれない。

 わが、日経メディアラボの「メディア予測2008」もそうした状況を確認している。

 http://nikkeimedialab.jp/blog/2007/12/2008_52eb.html

 私が、「日経地域情報化大賞」を創設して取り組んだのは、「情報を活用できる地域」を育てたいからだった。だから、当初は意識的に税金を使う自治体主導のプロジェクトを避けてきた。地域の人々が創意と工夫で、地域を活性化しようとしている、その現場をクローズアップしたかったのだ。

 (注:『「元気村」はこう創る』という本に、日経とSFCがコラボした5年間の成果をまとめています。http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%85%83%E6%B0%97%E6%9D%91%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%81%93%E3%81%86%E5%89%B5%E3%82%8B%E2%80%95%E5%AE%9F%E8%B7%B5%E3%83%BB%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%8C%96%E6%88%A6%E7%95%A5-%E5%9C%8B%E9%A0%98-%E4%BA%8C%E9%83%8E/dp/4532352916

 日本のインターネットの父、村井純氏は、「インターネットの仕組みは自律・分散・協調」と語る。システムの考え方も、それを作り、運営しているやり方もそうなっている。
 でも、現実のインターネットは、メールはスパムだらけ、Webも怪しいものがたくさんあって、子供にはフィルタリングが必要と叫ばれている。

 情報化社会、ネットワーク社会とは誰のものなんだろうか、自分は主体なのか客体なのか?

 私は、大学時代、ナチス・ドイツについて学んだ。あの狂気がなぜ生まれたのかというのを知りたかったからだ。ナチスは、1932年の国会選挙で、過半数は取れなかったものの、議会の第一党だった。つまり、ドイツ人の相対多数が支持した政党だったのだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%81%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84

 「良きこと」の裏に隠れた意外な結末・・・情報化社会もそうならないとは限らない。どこまで行っても、我々が加担した現実なのだから。

                       (2007年12月25日 坪田 知己)