スニーカーはサイドレース
                          坪田 知己


 2007年の春から6年間、私は普通の革靴を履いたことがない。すべてスニーカー。それもサイドレース。お葬式も結婚式も。
「普通に甘えない」――私のこだわりはそこにある。


 きっかけはウォーキングから


 2007年の春、離婚した。
 そこで考えたことは、「健康でいたい」だった。マンションの下には鶴見川が流れ、晴れた日には、堤防を散歩する人、ジョギングする人でにぎわう。
 中学時代は駅伝のランナーだったので、長距離走には自信があるが、そこまで無理をすることもない。ウォーキングなら末永く続けられると考えた。
 インターネットの通販サイトで、カッコいいスニーカーを探した。
 目に留まったのが、プーマの「フューチャーキャット」というスニーカー。
 普通の靴は、靴ひもが足の甲の中心で編まれている。ところが、フューチャーキャットは、外側にずれた位置に編まれている。「サイドレース」という編み方だ。しかもデザインがシンプルで、職場や大学に行くにも違和感がない。
「これはいい」と思い、「実物を見たい」と原宿のプーマストアに行った。
 一足が1万2000円ほど。「ちょっと高いな」と逡巡。店員が、「明日、横浜のベイサイドマリーナにアウトレット店がオープンします。3割か4割引きで古いものが買えます」と教えてくれた。
 そこで、翌日、ベイサイドマリーナへ。白に金の豹のマークがついたものと、こげ茶のマークがついたものと、どっちにしようかと大いに迷う。一足7000円ほどだったので、「2足買っちゃえ」ということにした。
 ネットのオークションサイトには、3割から時に6割引きで出品されていた。
 ベージュ、黒、こげ茶、青、空色、あずき色・・・1か月で10足買ってしまった。

 色が違うだけで構造も大きさも同じなので、毎日履いていて足の感覚が全く同じなのがいい。ということで、服に合わせて色を決めるだけで、毎日がフューチャーキャットだ。
 その後、5足買って、今は15足ある。このシリーズは30種類ほどなので、半分以上持っていることになる。さすがに赤と黄は「履いて出られない」と思って買っていない。
 4年前、弟の嫁が亡くなった。葬式に参列するのに「どうしようか」と思ったが、黒のエナメルのフューチャーキャットがあったので、それで行った。誰も気が付かなかった。慶應大学の教え子の結婚式披露宴も黒のエナメルで行ってしまった。


 自分らしくありたい


 2009年末に日本経済新聞社を定年退職した。それ以前、妻と別居した2003年頃から「自分流」の生活に移行した。
 サラリーマンで一番嫌だったのが、ドブネズミルックとネクタイ。イザというときはダークスーツにネクタイだが、普段はノーネクタイでブレザーと綿パンで通した。オフィスが本社とは別ビルだったので、上司(役員)と滅多に会わないのが幸いだった。
「普通に甘んじない」が、若いころからのモットーだった。仕事は自分の信念でやる。横並びのことはしない−−と、自分に言い聞かせていた。
仕事の面でも、「やがて紙の新聞はなくなる。ネットで先行できるのは日経だけ」と、新聞のデジタル化については社内の過激派の急先鋒だった。
 いま、アウターはほとんど高島屋で買っている「ジョセフ・アブード」というブランド。カジュアルだが、ビジネスの場所でも違和感がないのが気に入っている。下着は、「イージーモンキー」というネットショップで米国ブランドのものを調達している。
 結婚していた頃は、全部妻のお仕着せだったから、180度の転換だ。

 ファッションの隅々まで、「自分流」にこだわることは、背筋をピンとさせてくれる。ある意味で「逃げ場がない」「言い訳ができない」のだ。
 朝、着ていく服を決めるのが楽しい。スニーカーに足を入れ、サイドレースの靴紐を結ぶと、「さあやるぞ」という闘志が全身にみなぎるのを感じる。
 もしどこかで、私が“行き倒れ”になっても、フューチャーキャットとジョセフ・アブードで身元確認ができるはずだ。