「幸せ」は自ら掴むもの

 「幸せ」は自ら掴むもの


 3月24日。慶應SFCで教えていた頃の学生、M君が結婚式を挙げ、披露宴に招かれた。幸せを掴んだ彼の横顔を見ながら、「幸せ」を考えた。結論から言えば、幸せは黙って待っていてもやってこない。自ら掴みに行く勇気がなければ・・・。


 映画「HAPPY」から受け取ったもの


 3月20日、私が関わっている横浜・大倉山の地域おこしのグループが映画「HAPPY」の上映会を大倉山記念館で開いた。
 20人ほどの参加者があり、上映後、ワールドカフェ方式でディスカッションした。
 議論では、最初に映画の印象を聞いた。美人の母親がトラックにひかれて顔が潰れる重傷を負った。30回もの手術で生き延びたが、夫は去って行った。何度も自殺を考えたが、子供のことを考えて踏みとどまった。再婚し、「今はとても幸せ」という。自分に素直になれたからだろう。
 映画の最後にはインド・カルカッタの「死を待つ人たちの家」で、ボランティアをしている男性が登場する。米国で華やかな職業だった彼だが、この家で給仕をして、涙を流す収容者に、自分がしていることの充実感を感じるという。
 この映画が映しだしているのは、「幸せは自分の心の中にある」である。経済的に豊かでも。高級外車や豪邸を持っていても、満たされない人たちがいる。貧しくても日々の暮らしの中に喜びを見つけている人がいる。
 ワールドカフェの最後に、ファシリテーターが示した言葉が「動」だった。動くことで幸せが得られる・・・というものだった。


 M君がグレなかった秘密とは]


 M君の人生は、普通では考えられないものだ。
 比較的裕福な家で生まれたM君だが、3-4歳の頃に父母が離婚した。母の連れ子となって、次の父を迎えた。たしか3度目の父は大学教授だった。学生時代、また父母が離婚し、彼は父側に残された。その父が再婚し、血のつながらない父母との家庭になった。最終的にその父母とも別れることになった。その間、彼と妹は一緒の人生を歩んだ。
 成人になるまでに父母が何度も入れ替わるというのは、子供にとって恐ろしく過酷だ。しかし、M君は泣き言を言わなかった。一生懸命勉強し、クラブ活動も頑張っていた。学生時代、起業した。常に人生にチャレンジしていた。
 恋愛していた時、ベンチャーで働いていたが、彼女のお父さんが「しっかりした会社で働いている相手でなくてはダメだ」というので、転職に取り組み、楽天に再就職した。技術もビジネスもわかる若手として、周囲の期待を集めている。
 なぜ、自分を見失わなかったのか・・・。披露宴に出て、その秘密の一部がわかった気がした。彼は小学校の時も、中高の時も、学生時代も、心から信じられる友達に恵まれていた。いや、彼の誠実さ、積極性が、そうした良質な友人を獲得する原因になったのだろう。


 「分人」としての自分


 知人の鈴木健氏が昨年秋に上梓した『なめらかな社会とその敵』の中で「分人民主主義」という話を書いている。「一人が1票」ではなく、「自民党に0.7票、みんなの党に0.3票」とか分割して投票するのがベターではないかという提案だ。
 この「分人」については、作家の平野啓一郎氏が最新作『ドーン』で書き、その解説として『私とは何か〜「個人」から「分人」へ』という本を講談社現代新書で出している。
 23日に、この本を読んだ。
 人は対人関係についていろんな対応をする。その一つ一つが分人で、その集合体が一人の人間になるという考え方だ。つまり、人間を孤独な人格ではなくて、他者との関係性でとらえようという視点だ。「関係性の情報学」というテーマを追いかけている自分には、それを人間論に応用したような感覚で、とても納得できる。
 この「分人論」を応用すると、人間は他者との関係性の中で生きている。
M君は親を失った空白を、いい友人や先輩を持つことで乗り切ってきた。
 「HAPPY」の女性は、過去にこだわらずチャレンジすることで、カルカッタの男性は死を待つ人との関係性に自分を見出した。
 私も、妻と二人の子供を失ったが、信頼できる友人を多分野に持つことで、空白を感じる暇もない。
 「人生は“友福”を見つける旅だ」――この季節、学生の卒業パーティーのスピーチで必ずそう言うことにしている。
 仕事や様々な社会とのかかわりをしっかりやり、その中で築いた関係を太くしていく・・・そこからいい友が生まれ、その関係性の中で「幸せ」を実感する。それが人生の方程式ではないかと思う。
 この1週間は、そういう振り返りができた、とても充実した時間だった。
 みなさんに「ありがとう」と言いたい。そしてM君夫妻の幸せを祈りたい。「幸せは掴むものだよ」と言いながら。
               
              (2013年3月24日夜 坪田知己)