≪The Opinion by 自燃力≫ 第1回 それでも君は「食べるために就

≪The Opinion by 自燃力≫・・・『人生は自燃力だ!!』の著者、坪田知己が贈る「喝」


第1回 それでも君は「食べるために就職するのか?」


 最近、仕事の話をしていて、周囲の人と違和感を感じることが多い。
 先日も、「いまやっているネット通販とかは楽しいんだけど、食べていけないの。ちゃんとした仕事に着かないとだめね」という女性の話を聞いた。
 「就職難」の時代である。一流大学を出ても、なかなか就職先が決まらない。50社、60社も受験して内定が得られない学生もいる。
 大学の多くで、「就活支援センター」などを設けて、志望先の選定や、面接の指導、エントリーシートの書き方などを指導している。
 こういう小手先の指導ははっきり言って無駄と思う。

 私は37年間、新聞社で仕事をしたが、「お金をもらうために仕事をしている」とか「給料のために我慢」という感情を持った記憶がない。
 新聞記者という仕事が好きだったし、それに誇りを持っていた。また「世の中を良くする」という使命感もあった。

 学生諸君に問いたいのは、「たった1回の人生を、食べるために費やして惜しくないか?」ということだ。

 人間として生まれて、勉学するうちに、世の中がわかってくる。それに対して、自分が何をやればいいかが定まってくる。運動神経、記憶力、器用さなどの得意技を生かしてやっていけるか・・・、今の社会に欠けているものを自分が何とかしようと考えるか・・・、好きで好きでたまらないモノをやっていきたいか・・・などだ。

 プロ野球選手やプロサッカー選手になりたいという少年はたくさんいる。しかし、ほとんどの少年は、自分より優れている同年代に追いつけないと考え、あきらめる。
 アニメの仕事をしたいという少年も多い。しかしあまりの低賃金に最後はあきらめてしまう。

 ちゃんと食べていくには、人並み以上の努力が必要だし、才能がなければならない。だからと言って「テキトーに」でやっていては、いつまでも振り回されるだけだ。そして最後は社会に不満を持ったり、自暴自棄になって、犯罪を犯したりする。

 他人の何倍もの知識欲、書きことが好き、世の中を良くしたい・・・それが私の職業選択のベースだった。小学校の5,6年の頃には「新聞記者」というイメージが自分の中にあった。天文学者という別の夢を持ったこともあったが、自分か書くことに慣れていることが、必然的に新聞記者への道につながった。

 50代、60代になって「誇りの持てる人生だったか」と振り返るときに、「目標に向かって頑張った」という自分がよみがえってくる。

 「泣いても笑ってもたった1回の人生」――。後悔しないために、絶対大事なことは、自分を見失わないことだ。「意志を貫く」・・・その強さがなければ、人生は渡っていけない。

<余話>
 昨年末から「新聞記者を目指す」というA君とB君という二人の若者を指導していた。A君は、はっきりいって「あこがれ」だけ。文章を書かせて、コメントを送ったが、「自分」というものが示されなかった。ちゃんと、地に足を付けて、勉強し、モノを見ていない。指導を打ち切った。
 B君は、地方新聞社志望。この春、2社受けて不合格。大学院でさらに勉強しようとしている。「こういう本があるよ」と言えば、すぐに読んで、感想を返してくる。彼は必ず成功するだろう。執念がある。
 人生で一番大事なことは、執念=情熱だ。それがあれば、イチローのようなひょろひょろの小学生でもスター選手になれる。能力があっても執念がないと大成しない。人間はどこまでいっても「意志の動物」だ。
                (2012/9/7)