組織とリーダーシップの未来は

組織とリーダーシップの未来は

 私は、20年ほど前から、「組織とリーダーシップ」という問題を考えてきた。
 一つは、1985年の4月から9月まで「21世紀企業」というテーマで、日本経済新聞の1面に毎週1回、連載を書くチームのキャップを務めたことだ。
 これは「エクセレントカンパニー」という本に刺激されて、21世紀の企業の在り方を探るという企画だった。
 第1回が、まだ小さな企業だったマイクロソフトで、最終回がNTTだった。私は三菱化成工業とNTTを担当した。
 その結論は、「社員の個性を生かす歌舞伎座企業」というものだった。
 ところが、そのような方向に企業は変わらなかった。
 バブル崩壊以後、「リストラの断行」が経営者の勇気を示しているとしてもてはやされた。「雇用を守る」と宣言したトヨタ自動車の企業評価について、米国の格付け会社が格下げしたという事件もあった。
 『内側から見た富士通』という本がベストセラーになっている。成果主義をいち早く取り入れた会社が、そのためにモラルダウンを引き起こすという現実を克明に追っている。
 これは、日本の大企業にとっては他人事ではない。多かれ少なかれ、こうした病気にかかった企業が大半だからだ。
 組織は、経営者が管理し、いかに社員のやる気を出させるかが勝負だ−−と思われている。そのやる気の引き出し方として、「よく働いた人にはたくさん、あまり働かなかった人には少し」という差別をすることによって、競争心を煽ろうというのだ。
 そのあまりに短絡的な考えがまかり通ることに唖然とする。
 
 最近、栃木県の幼児殺害とか、あまりに殺伐とした事件が多い。それと成果主義は通底したものがあると思う。それは「人間を道具としてみる」というあってはならないことがまかり通っていることだ。
 「あいつは役に立つ」「役に立たない」−−「あの馬は役に立たない」「あの牛は役に立つ」−−これは同じことではないのか。
 操作する人間と、操作される人間−−『虚妄の成果主義』で高橋伸夫東大教授が述べている通り、19世紀に「科学的管理法」を編み出したアルフレッド・テイラー以来の隷属型労働の概念が、100年以上経っても亡霊のように生きていたということだ。
 
 私は1994年に『マルチメディア組織革命』という本を上梓して、「ビジョン駆動型」という考え方を「コマンド駆動型」(隷属型)に対比させ、情報共有による協働型組織を提案したが、結局のところ、多くの企業は性懲りもなく隷属型を維持しているわけだ。
 
 1985年の企画取材の中で、注目したのはテレビマンユニオンという会社だ。この会社はTBSを脱藩したプロデューサーたちが作った会社で、最近では「ようこそ先輩・課外授業」「世界不思議発見」などで有名だ。この会社は社員全員が投票で社長を選ぶ。プロダクションという特殊な業種で、創造性が求められる会社だが、同種の会社がそうではないことからして、やはりユニークな会社だ。
 
 そうした新しいイメージの経営が、20年も書かれていたことにびっくりする。それは『知的興奮集団のつくり方』という本だ。小川俊一さんという方が書かれ、今は中古本しか手に入らない。ぜひ手に入れて読んで頂くと、その慧眼に驚かされる。改めて学びたいところだ。
 
 
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 私はリーダーシップに関する本をたくさん読んできたが、最近では、『リーダーシップの真髄』(マックス・デプリー著、福原義春監訳。経済界刊)が秀逸だった。特に冒頭に出てくる、機械工の葬式に出席した社長が、彼の残した美しい詩を聞かされ、「機械工が詩人だったのか、詩人が機械工だったのか」と自問するところは、まさに「人間全体の可能性を引き出すことが経営の神髄」と考えさせる。

 あらゆる経営者、管理職に問いたい。「あなたは人間を道具にしていませんか」と。最近、大学に招かれ、人の可能性を引き出していく仕事をしている自分は、開花していく才能を側で見られることの楽しさに夢中になっている。
「ダメだ、ダメだ」というのは簡単だ。じっくりと丹誠込めて育ててこそ、人は「活きる」のだ。