winny事件は「やぶ蛇」ではないか
winnyの問題で、私の周囲は議論がまっさかりだ。
「犯罪の幇助だ」という、警察や著作権ビジネスの会社の主張を支持するものから、「幇助だといえば、パソコンメーカーも、マイクロソフトも、インターネットの開発者も全部そうなる」と言って、馬鹿げた逮捕だと主張する人まで、様々な意見がある。
私自身が共感しているコメントは以下の2つです。
http://www.hirokiazuma.com/blog/
http://ishbash.blogtribe.org/day-20040510.html
私は、「万人が創造でき、簡単にネットで配布できる時代に対して、今の著作権制度が対応できているのか」という問題を提起してきた。そういう観点で見ていくと、今回の47氏のチャレンジは興味深かった。
最近、以下の論文があることを知った。
http://www.tokugikon.jp/gikonshi/232tokusyu2.pdf
特許系の雑誌に載った、経済産業省の村上氏の論文だ。
ここで「これからは、コンテンツの流通や利用は、むしろユーザーの側が積極的にコンテンツの内容や利用形態を提案する需要先行型の時代に入るだろう」と書かれているのは、私が漠然と思っていたことをズバリと書いていて小気味よかった。
またこの論文は、再創造にも触れている。
今の著作権は、再創造の概念がないので、クリエーターの創造の幅が狭められている。昨年話題になった「ワラッテイイトモ」が上映不可になったのはその問題だ。
いずれにせよ、既得権を守ろうとする勢力は、今回の事件で「やぶ蛇」になるだろうと予想できる。
議員が国民年金を払っていなかったのは、国庫負担に大きく依存する「議員年金」をあてにしていたからで、年金未納閣僚が頑張れば頑張るほど、議員年金の終末が早まる−−という構図と同じだ。
世界はどんどん透明化が要求される時代になっている。やっぱり強いのは大衆だということが、洋の東西を問わず認識されるのではなかろうか。
漠とした話ですが、今日はこれまで。
tomtsuboこと坪田 知己(個人)